じゃあ、いつやるか、いまでしょ!



 幼い時分はよく、裏山に登ったなあ。

 テレビの中継アンテナが立つとがった山に。そこからは、自分の住む町が見渡せた。通っている小学校のグラウンドや文房具店が見えた。山々が紫色に幾重にも重なる山地と深く刻まれた渓谷をゆっくり眺めることができた。

私の故郷は、阿蘇火砕流に埋め尽くされた谷が、侵食により深い渓谷を作り、観光地になっていた。おとずれる観光客は日本中いろんなところからやって来ていた。
 少年の頃の世界は、裏山から見える、東の山と西の山の尾根に囲まれた盆地の中、深い渓谷の底と山と渓谷の間にわずかに広がる平地がすべてだった。
 観光客が運んでくる外の世界の空気を時折味わうことがあっても、日常の世界はごく限られた空間とTVから仕入れた小さな世界だけだった。

 夜になると夜空には天の川がくっきり見えた。


 こと座の方角に異常に星が集まっているのをなんだか怖い気持ちでながめていたなあ。時々人口衛星がスーッと通るのを眺めたりした。はやく大人になって外の広い世界を見てみたかった。
 実際、大人になったら、結局日々の生活に目が言って、年月をただ虚しくすごすことになろうとは考えてもみなかった。

 パウロ・コエーリョの著作「アルケミスト」は、サンチャゴ少年の冒険の物語、


 童話のような美しいお話で、子供向けのようにも感じる。ただ、大人が物語を読み進んでいくとなんだかセツナイ感情がこみ上げてくる。運命を生きることができたサンチャゴ少年が羨ましくなる。どうしても自分とくらべて、胸の奥に閉まってあった少年のころの「夢」がなんだかうずいてくる。
 物語の中に、世界中をた旅することが夢だった、男が登場する。彼はとりあえずパン屋になってお金を貯めてから自分の夢を実現しようとする。
 羊飼いになればすぐにでも世界中を自由に旅することができたのに、そうしなかった。
 羊飼いより、屋根のある家に住めるパン屋のほうが世間的によいと考えたのだ。彼はリタイヤーしたら世界旅行をしようと自分に言い聞かせたが、そのうち自分の夢を忘れてしまった。
 夢を旅した少年の話は、大人にも子供にも日常にひそむ運命の前兆を気づかせてくれる助けになるかもしれない。


後悔しないうちにやることやっちゃおう。
じゃあ、いつやるか、いまでしょ。

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